3Fブラスバンド部:柿沼(南) 志津子です

榊くんからのリレーメッセージのバトンを受け取りました。同じ3F、ブラスバンド所属の榊くんとの古希の会での卒業以来の再会は感動的でした。同窓会に感謝です。バトンは11月に渡されていたのに、何を書こうか考えているうちに3月になってしまい、いつまでも止めておけないと焦って書いています。2015年以来ほぼ10年ぶりです。

(秋田の母のこと)1月に秋田の実家に帰り、92歳の母の誕生日に便乗して私の69歳の誕生日も祝ってもらった。母は妹や孫、ひ孫たちと一緒に暮らしている。面倒を見てくれている妹にはいくら感謝してもしきれない。妹が母の3年日記帳を見つけた。2010年から2012年までの3年間の日記だ。(恥ずかしながら、私は日記を書こうと思ったこともなく、3年日記帳も知らなかった。仕事の手帳がこれに該当していたのか?)父の命日には、10年が経ったこと、母自身が心臓の手術をして8年が経ったことが書かれていた。改めて、母の心臓手術は私の今の年齢で、それからもう20年以上経ったことを再確認した。日記の内容は、料理好きの母らしく夕食に何を作ったか、親戚が訪ねてきたなど、日々の何気ないことが書かれていた。2011年の3月11日には大きな地震があったことも書かれていた。母の日記を見て、妹と一緒に我が家の歴史をいろいろ思い出す時間を過ごすことができた。改めて、母の生き方に触れ、病気を乗り越えてきた生命力に敬意を示したい。(毎日一緒には過ごせないけど、時間を作って会いに行くようにしたいと思っている)今回、紙に直接書かれた日記の貴重さを感じるとともに、自分は毎日続ける自信はないが、時折何かを書き留めておくことも自分にとって大切なことだと感じた。日記か記録か、形はわからないけど、これから挑戦できることかもしれない。

(仕事のこと)若い時からこれまでに、70歳の自分の姿を想像したことがあっただろうか?高校時代は将来の仕事を考えて薬学部を選び、大学では研究に没頭し、その後薬剤師にはならず研究職に就いた。途中、職場は異動したが、65歳で定年になるまでその時々の目標に向かって約40年間夢中で過ごしてきた。(この区切りで疲れが出たのかリンパ腫になったが、最新の治療のおかげで、普通の生活ができている。薬も治療法も放射線を使った検査方法も、専門家として理解していたが、実体験は初めてである意味勉強になった。)現在も引き続き研究に一部参加させてもらっている。自分は後輩や若手に何か役に立つことがあればと思っているが、実は老害になっていないかと時折気になり、質問するようにしている。まだ自分でまとめなければならないこともあるので、後輩に迷惑をかけながらもお世話になっている。この状況に感謝しかない。娘には、好きなことが仕事だから幸せなんじゃないかと言われる。実際、いろいろ大変だったことも含めて満足している。

(同窓会に感謝)友達との付き合いは仕事関係者が中心だ。それ以外は大学時代の友人1名との年に1~2回の飲み会や、高校や土崎中学の同窓会を楽しみにしている。高校の同窓会では、佐々木章さんからは中学からのブラスバンドつながりや、実家も近いことから、声をかけてもらっている。藤巻(猿田)ゆう子さんはクラスが3年間一緒だったこともあり、同窓会の前に会って話をすることを毎回楽しみにしている。電車で20分くらいのところに住んでいるので、もっと会う機会を作りたい。中学からのつながりでは、矢沼(小菅)郷子さんや太田明くんとは、東京の中学の同窓会でも会うことができるので、楽しみにしている。次回2027年の高校同窓会に出席できるよう健康に過ごしたいです。

私は仕事を中心に過ごしてきたので、これといった趣味もなく、これから好きなことができる時間がたくさんあるはずなのに、次に何をして良いかわからない状態だ。次は75歳になったときにどんな自分でいるかを想像しながら、これまで好きだったこと(料理、編み物、音楽を聴く、演奏する)から何かを楽しんでいたい。次回会うときは、自分の趣味の話ができるようになるのが目標です。
それでは、皆様お元気にお過ごしください。

次は、3F藤巻(猿田)ゆう子さんにリレーメッセージのバトンを渡します。

母の92歳の誕生日に、孫が作ったバスクチーズケーキでお祝いした。数字のロウソクを入れ替えて、私の69歳のお祝いもしてもらいました。

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